大阪地方裁判所 昭和24年(ワ)565号 判決
原告 坂田末太郎
被告 近藤仁平
一、主 文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
二、事 実
原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金二万五千円の支払を受けると引換に大阪市東住吉区桑津町三百十五番地上に在る木造セメント張瓦葺二戸建住宅一棟のうち東側の一戸二階建住宅(建坪十五坪四合五勺・二階坪九坪五合八勺)の階下を明渡せ、訴訟費用は被告の負担とする」との判決と仮執行の宣言を求め、その請求の原因として、被告は右家屋(以下本件家屋と称する)を訴外野上留治郎から賃料一ケ月百二十円の約束で賃借していたところ、港区市岡方面に自ら家屋を新築して移転することとなつたので本件家屋の賃借権を譲渡せんと欲し、その周旋を不動産売買業金子謹一に依頼した。
原告は金子よりその事を聞知し被告と直接交渉した結果、昭和二十二年八月二十日原被告間に次の如き契約が成立した。(1) 被告は原告に対し本件家屋の賃借権を金五万円で譲渡すること、(2) 右賃借権の譲渡については被告の責任に於て必ず家主の承諾を得ること、(3) 家屋の明渡期日は昭和二十二年九月末日とすること、(4) 被告は原告から内金二万五千円を受取ると同時に先づ本件家屋の二階を明渡して原告を二階に居住させること、(5) 被告が本件家屋全部を明渡すと同時に原告は残金二万五千円を支払うこと。
そこで原告は右約旨に基いて同年八月二十六日被告に対し内金二万五千円を支払い本件家屋の二階の明渡を受けて其処に居住するに至つたが、被告は九月末日に至るも階下の明渡を実行せず、其の後被告は訴外野上から本件家屋を買受け本件家屋の階下に依然として居住を続け、原告の屡々に亘る明渡請求にも応じない。以上の次第で前記昭和二十二年八月二十日原告と被告間に成立した契約は、被告が原告に賃借権を譲渡して本件家屋を明渡すと共に家主の承諾を求め、以つて原告をして完全な賃借人の地位に立たしめ其の利益を享有せしめることを内容としたものである。ところが其の後被告は本件家屋の所有権を取得したのであるから、家主の賃借権譲渡の承諾の問題は既に解決せられた訳であり、元所有者たる訴外野上と被告間の賃貸借関係はその儘新所有者たる被告と原告間の賃貸借関係に移行しているのである。
よつて原告は、原告より被告に金二万五千円を支払うと引換に、被告から本件家屋の階下の明渡を求めるため、本訴請求に及んだ、と述べ、
(一) 被告の「前記賃借権譲渡契約は被告が新築家屋を完成して其処へ移転する場合には賃借権を譲渡するという停止条件附契約である」との主張に対し、当時被告は既に新築を決意してその建築許可も取り、材木等を用意して建築の準備を為し、且つ本件家屋の賃借権譲渡を不動産売買業者たる金子謹一に依頼してその店頭に広告させていたのであつて、原告が被告と交渉した際も被告は原告に建築許可書を見せ新築家屋の完成は確定的であると言明したので、原告は後記の如く大阪府営住宅に居住し得る権利を有していたのに拘らず之を抛棄して被告から本件家屋の賃借権を譲受ける契約を締結したのであり、被告も右契約に基いて内金二万五千円を受取り一部履行として二階を明渡したのである。従つて被告主張の如き停止条件附契約でもなければ又予約でもないと述べ、
(二) 尚被告の仮定抗弁に対し、被告がその主張の日に訴外野上から本件家屋を買取りその主張の日に所有権移転登記を完了したこと、及び被告主張の日にその主張の如き賃貸借解約の申入があつたことは認めるが、次の理由により被告の抗弁は失当である。即ち
(イ) 被告の解約申入の主張は原告が本件家屋に付賃借権を有することを前提とするものであるが、原告は賃借権に基いて本件家屋の明渡を求めているのではなく、前記昭和二十二年八月二十日の契約に基いてその履行を求めているのであるから、解約申入によつて原告の明渡請求権が消滅したと做すのは失当である。
(ロ) 若し然らずとしても、被告は港区市岡に家屋を新築して其処に引移り昭和二十二年九月末日限り本件家屋を原告に明渡すべき義務があつたに拘らず、自己の都合により之を取止め原告に対し契約上の義務を履行しなかつたのであつて、其の後に於て本件家屋を自ら買取り自己使用の必要を理由として解約申入を為すが如きは、自らの義務違反の責任を原告に転嫁せんとするもので甚しく信義に反し、権利の濫用である。
被告は市岡の建物が台風により災害を蒙つたと謂うが右建物は事務所であるから被告の住宅に被害があつたとは言えないし、又被告は義務不履行をしているのであるから其の後不可抗力による災害を蒙り本件家屋以外に住むべき家が無くなつたにしても、それは被告自らが解決すべき問題であつて、被告が契約を履行して本件家屋を原告に明渡した後に於て本件家屋を自ら使用する必要を生じた場合と同一に論ずることは出来ない。従つて被告は先づ自己の責任に於て自らの住宅問題を解決し本件家屋を原告に明渡して其の義務を履行し、然る後に若し正当事由があれば改めて解約申入をして争うべきである。
一方原告は当時住居に困り抽籖の結果大阪府営住宅に居住出来ることになつていたのであるが、其の家では狹過ぎるので被告から本件家屋の賃借権を譲受け右府営住宅の権利を抛棄して了つたのであつて、本件家屋以外には原告一家が居住すべき家はない状況に在る。
以上の次第であるから被告の解約申入は正当の事由がないと、述べた。<立証省略>
被告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、答弁として、被告が曾て本件家屋を訴外野上留治郎から賃借していたこと、被告が昭和二十二年八月二十六日原告から金二万五千円を受取つたこと、その時から原告が本件家屋の二階に居住し被告が階下に居住するに至つたこと、及び其の後被告が訴外野上から本件家屋を買受けたこと等は何れも認めるが、其の余の原告主張の事実は争う。
(一) 原告と被告間に締結された契約は原告主張の如き単純な賃借権譲渡契約ではなく停止条件附の譲渡契約である。
即ち原告から本件家屋の賃借権譲受の申込を受けた当時被告は港区市岡元町二丁目の被告所有の事務所に住宅を増築する計画を立て、材木の一部を調達し且つ基礎工事を完了していたので、右住宅を完成した際は本件家屋の賃借権を金五万円で譲渡する旨の契約をしたもので、右住宅の新築を条件として契約したのである。
ところが其の数日後原告は、現在居住の家が狹い上に親族を早急に同居させる必要に迫られているため取敢えず本件家屋の二階の一室を賃貸され度いと懇請するので、被告は原告の希望を容れ二階を転貸したのであるが、その際新築家屋が完成して被告が其処へ移転する場合には賃借権譲渡代金の内入に充当しそれ迄は二階使用の保証金とする約束で原告から金二万五千円を受取り、又若し新築家屋が完成出来ず従つて被告が転居するに至らなかつたときは被告の求めに依り原告は何時にても二階を明渡すことを約束したのである。然るに右住宅は被告が事業に失敗した為工事不能に陥り新築出来ず、其の後昭和二十五年九月三日の台風により前記事務所も倒壊し遂に右条件は成就せずに終つた。従つて原被告間の賃借権譲渡契約は其の効力を生ずるに至らなかつたものである。
(二) 若し仮りに原告主張の如き単純な賃借権譲渡契約であつたとしても、被告は昭和二十三年六月二十七日訴外野上から本件家屋を買受け其の所有権を取得したから(移転登記は被告の都合に依り昭和二十六年二月一日完了)、被告は野上が原告に対して有する賃貸人たる地位を承継したことになる。而して被告は前述の如く市岡元町に住宅新築の計画を立てていたが資金の関係で工事が不能となり、本件家屋以外には被告としては居住する家がないので、被告は自己使用の必要に基き原告に対し昭和二十四年八月二十六日附書面を以つて賃貸借解約の申入を為し同書面は翌二十七日原告に到達した。従つて爾後六ケ月の期間を経過した昭和二十五年二月二十六日を以つて被告と原告間の本件家屋に関する賃貸借は終了した訳であるから、原告の明渡請求権は既に消滅し原告の本訴請求は理由なきに帰したものと謂わねばならない。
ちなみに原告は、被告が明渡義務を履行せずして解約の申入を為すのは不当であるとして解約申入の正当事由を争つているが、被告は家族六人を抱えて本件家屋以外には居住すべき家なく、一方原告は五人家族で二階に居住するだけで十分事足る状況に在るから、若しも被告が一旦全家屋を明渡した上で改めて自己使用の必要に基き「本件家屋の一部の明渡を求める場合には」此の解約申入は十分正当事由あるものとして是認せらるべきものである。従つて斯る状況に在る以上原告主張の如く一旦全家屋を明渡した上で改めて解約申入をする必要はなく、被告が為した解約申入によつてもその正当性を具備するものと謂い得る、と述べた。<立証省略>
三、理 由
本件家屋はもと訴外野上留治郎の所有で被告が之を同訴外人から賃借していたこと、昭和二十二年八月中原告と被告間に本件家屋の賃借権譲渡に関する交渉が為されたこと、及び同年八月二十六日被告が原告から金二万五千円を受取り其の時から原告は本件家屋の二階に居住し被告は階下に居住するに至つたこと等は結局当事者間に争ないところである。
(一) 原告は「右交渉によつて同年八月二十日原被告間に本件家屋の賃借権を金五万円で被告が原告に譲渡する契約が成立し、同月二十六日原告より被告に内金二万五千円を支払つて先づ本件家屋の二階の明渡を受け、階下は同年九月末日限り残金二万五千円の支払と引換に明渡を受ける約束であつた」と主張するに対し、被告は「該契約は単純な賃借権譲渡契約ではなく、被告が港区市岡元町に新築家屋を完成して移転するときは賃借権を譲渡するという停止条件附契約で、前記二万五千円は原告が住居の必要に迫られて取敢えず二階を貸してくれと言うので、被告の新築家屋が完成して其処へ移転する場合には賃借権譲渡代金の内入に充当する、それ迄は二階転貸の保証金とするという約束の下に受取つたものである」と主張するので、先づ此の点を検討するに、
成立に争ない甲第一号証と、証人坂田茂子の証言並に原告本人の供述に依り成立を認め得る甲第三乃至第五号証、証人小竹クマヱ、坂田茂子の証言並に原告本人の供述、及び証人近藤豊、近藤玉恵の証言並に被告本人の供述の各一部を綜合すれば、(1) 原告は引揚者で初め住吉区東浜口町二丁目の西尾覚太郎方の二階を借受けて居住していたが、西尾から立退を求められたので移転先を物色中昭和二十二年六月頃大阪府営住宅の抽籖に当つたが、該住宅は六畳と三畳(板間)だけで狹過ぎるので空家賃を払いながら更に他の家を捜していたところ、同年八月頃不動産周旋業金子謹一の店頭に本件家屋の賃借権を譲渡する旨の広告が出ていたので、原告は早速被告方を訪ねて賃借権譲渡の交渉を為すに至つたこと、(2) 当時被告は港区市岡元町二丁目に在つた自己所有の事務所の傍に住宅を増築して移転する計画を進めて居り、既に建築許可を受け材木を買求め地均し等もしていたので、右交渉の際被告は原告に該建築許可書・設計図・資材購入許可書等を見せ、同年九月末頃迄には新築が完成して移転することが出来るから本件家屋の賃借権を譲渡する旨話し、双方折衝の結果同年八月二十日原被告間に「本件家屋の賃借権を金五万円で譲渡すること、家主の承諾は被告が責任を以つて得ること、代金の内金二万五千円を支払うと同時に先づ二階を明渡し階下は同年九月末日限り残金二万五千円の支払と引換に明渡すこと」との契約が成立し、原告は前記府営住宅に対する既得権を抛棄して八月二十六日被告に内金二万五千円を支払い、同時に本件家屋の二階の明渡を受けて其処に居住するに至つたこと、等を認めることが出来るのであつて、右認定の、被告が当時既に家屋を新築する為に建築許可を得材木を用意し地均工事を為し且つ本件家屋の賃借権を譲渡することを不動産周旋業金子謹一に頼み其の店頭に広告迄掲げさせていた事実、及び原告が府営住宅に居住し得る権利を抛棄して本件家屋の二階に移転して来た事実、更に甲第一号証の金二万五千円の仮受取証に明確に「但し内金」と記載されていた事実等に徴すれば、前記昭和二十二年八月二十日に原被告間に締結せられた契約は単純なる賃借権譲渡契約であつて明渡期限を同年九月末日と定めたものに外ならず、被告主張の如き新築家屋が完成したら譲渡するとの停止条件附賃借権譲渡契約ではなかつたことが明かである(此の点に関し被告の主張に符合する如き証人近藤豊、近藤玉恵の証言部分及び被告本人の供述部分は措信せず、他に被告の全立証を以つてしても右認定を覆し得ない)。
而して上記の賃借権譲渡契約と謂うのは言う迄もなく賃借人たる被告が自己の有する賃借権を原告に譲渡して自らは賃借人たる地位より離脱し原告をして賃借人たる地位につかしめることを内容とするものであるから、右契約によつて被告が原告に対して本件家屋を明渡す義務をも負担することは勿論であるが、其の後昭和二十三年六月二十七日被告が訴外野上から本件家屋を買受け(所有権移転登記は昭和二十六年二月一日完了)たことは当事者間に争ないところであるから、賃借権譲渡に関する家主の承諾の問題は既に解決し、以後被告が負担する義務は本件家屋の所有者兼賃貸人として賃借人たる原告に本件家屋を使用收益せしむべき義務(従つて当然明渡義務を包含する)に転換された訳であり、原告は被告が所有権を取得した後に於ては此の転換された義務の履行を求め得る筋合である。
(二) 然るところ被告は「原告の右明渡請求権は被告の為した賃貸借契約の解約申入によつて消滅した」と抗争するので、此の点を検討するに、
被告が昭和二十四年八月二十六日附書面で原告に対し賃貸借契約の解約申入を為し同書面が翌二十七日原告に到達したことは当事者間に争ないところであり、而して又被告が本件家屋を買受けたのは昭和二十三年六月二十七日移転登記を完了したのは昭和二十六年二月一日であることも既述の如く当事者間に争ないところであつて、然も原告は被告が昭和二十三年六月二十七日買受によつて「所有権を取得した事実を承認」していたことは弁論の全趣旨によつて明瞭であるから移転登記経由前に於ても被告は自己が本件家屋の所有者であることを原告に対し主張し得る立場に在つたのであつて、従つて被告が賃貸人たる地位に於て原告に対し前記解約申入を為したことは適法である(正当事由があるか否かは後に判断する)。
(イ) 原告は被告の此の抗弁に対し「被告の解約申入は原告が本件家屋に付賃借権を有することを前提とするものであるが、原告は賃借権に基いて本件家屋の明渡を求めているのではなく昭和二十二年八月二十日原被告間に成立した契約に基いてその履行を求めているのであるから、被告の賃貸借解約申入によつて原告の明渡請求権が消滅するいわれはない」と争うが、既に述べた如く昭和二十二年八月二十日締結された賃借権譲渡契約に因り被告が負担した義務は之がその儘の形で現存しているのではなく、被告が本件家屋の所有権を取得したことに因り被告が自ら賃貸人として賃借人たる原告に本件家屋を使用收益せしめる義務に発展転化したのであつて、之を原告側からの被告に対する明渡請求権に就いて言えば、以前には原告が被告から賃借権を譲受けたことに因り原告自らが賃借人として既に賃借権を失つた被告に向つて(此の場合家主に対する対抗力の問題は別問題である)明渡を求め得たのであり、後には原告自らが賃借人として新に賃貸人たる地位を取得した被告に向つて賃借権の内容を実現させる為に明渡を求め得るのであつて、その明渡請求権の基礎は前後を通じていずれも原告の有する賃借権に基くのである。然らば原告の前記主張は取るに足らぬこと自ら明かであろう。
(ちなみに原告は本訴の請求原因として当初訴状に於ては昭和二十二年八月二十日締結の賃借権譲渡契約に因る明渡義務の履行を求める旨主張したのであつたが、後に準備書面に於て「不明確ではあるが」上記の如き意味にその請求原因を補充したのである。然るに再転して原告の本訴請求は賃借権に基いて明渡を求めるものではなく八月二十日締結の契約の履行を求めるものであるから、被告が解約申入による賃借権の消滅を以つて抗争することは許されないと主張するのは、聊か理不儘であり、斯くては原告の本訴請求自体をも瞹昧なものたらしめる感なきを得ない。思うに原告の主張全体を通観するに、原告が所謂契約に基く明渡請求権と称するのは、それのみが賃借権の帰属とは無関係に独自に存在すると言うのではなくて、賃借権譲渡契約に基く譲渡行為によつて賃借権が被告から原告に移転したから、従つて被告に対しては原告が賃借人なりと主張し得る立場にあるから明渡を求めるというのであろう。若しも然らずして原告が未だ賃借権を有していないから譲渡契約に基いて原告に賃借権を取得せしめよというのであれば、本訴に於て直ちに家屋の明渡請求のみを為すことは早計である)。
(ロ) よつて更に進んで被告から為した賃貸借解約の申入が果して正当事由を具備するか否かの点を按ずるに、
原告は「被告が自ら原告に対する本件家屋の明渡義務を履行しないで居りながら、逆に原告に向つて賃貸借の解約申入を為すが如きは甚しく信義に反し到底解約の正当事由あるものとは言い得ない」旨主張し、被告が自らの明渡義務を怠つていることは既に明瞭であるが、だからと言つてそのことから直ちに解約の正当事由を認めるに由ないと断じ去る訳には行かない。
今本件の事実関係を顧みるに、証人近藤豊、近藤玉恵の証言並に被告本人の供述と成立に争ない乙第二号証の一、二第三号証を綜合すれば、(1) 被告が原告との間に本件家屋の賃借権譲渡契約を締結して原告に二階を明渡した当時に於ては、被告自身も港区市岡元町に新築家屋を完成し得るものと信じ、之が完成出来ないというが如きことは考えていなかつたのであるが、思わざる営業(船舶機械売買業)の失敗の為に建築資金が涸渇し、ために建築工事を遂行し得なくなつたこと、(2) 従つて原告に対し約束通り階下の明渡が出来ず、原告からは明渡を迫られ、さればと言つて市岡元町に在る事務所だけでは被告一家の居住に堪えず、他に移転する所がない為、原告に対して二万五千円を返還するから賃借権譲渡を解約して貰い度い旨申入れたが原告の聞入れるところとならず、苦慮の結果昭和二十三年六月二十七日に至り窮余の策として本件家屋を家主野上留治郎から買受け、賃貸借解約申入によつて原告からの明渡要求に対抗せんとしたこと、(3) 其の後市岡元町に新築工事を再開することが出来ずに居る間に昭和二十五年九月三日の台風によつて同所の事務所も破壊され新築の為の基礎工事も流失して了つたこと、(4) 本件家屋の階下は六畳、三畳三間、二畳で現在此処に被告の家族九名が居住していること、等を認めることが出来、(5) 一方原告が本件家屋の二階に移転した事情は既に前段に於て認定した通りであつて、更に原告本人の供述に依れば本件家屋の二階は八畳と四畳半で現在此処に原告の家族六名が居住していることを認めることが出来る。
而して以上認定の事実に依れば、被告は営業の失敗という自らの責に帰すべき事由のために新築家屋の完成が出来ず従つて契約通りに階下の明渡を為すことが出来なかつた訳であるが、然し他面本件家屋の買受及び賃貸借の解約申入は被告が殊更に原告の明渡要求を妨害する目的のみで為したものとは認められず、住居の確保に苦慮した窮余の一策として講じた原告の明渡要求に対する対抗手段であつたのであり、そして又此の解約申入によつて被告が原告を本件家屋の二階から追出さんと企図しているものではなくて階下の賃貸借が終了するだけでも甘受する意思であることは被告の弁論の全趣旨に徴して明かである。
之等の諸点に基いて彼此考察すれば、原告が折角府営住宅の既得権を抛棄してまで本件家屋に引移つたのに拘らず事予期に反したことは誠に遺憾とするところであろうけれども、他面被告の立場からすれば居住すべき場所を失うことは自らの落度によるためとは言え真に重大事であつて、幸にも原告は本件家屋の二階に居住するだけでも決して起居不能という訳ではなく、一方被告は事の経緯に鑑み階下だけで辛抱すべきは寧ろ当然のことであるから、斯る見解のもとに当裁判所は本件家屋の階下についてのみ被告の解約申入を正当事由あるものと判断する。
然らば本件家屋に関する原告の賃借権は階下の部分については解約申入後六ケ月の期間を経過した昭和二十五年二月二十六日限り消滅したものと謂うべく、従つて階下の明渡を求める原告の本訴請求は理由なきに帰する。よつて原告の請求を棄却し、訴訟費用の負担に付民事訴訟法第八十九条を適用し、主文の通り判決する。
尚念の為附言するに、原告は賃借権譲受によつて本件家屋全部について賃借権を取得し、後に解約申入によつて階下の賃借権が消滅したのであつて、二階については依然として原告に賃借権があるのであるから、原告が二階に居住するために之に附随して当然使用しなければならない階下の出入口、便所、炊事場、水道等は原被告双方が共同して使用する関係に置かれることは言う迄もない。尚賃借権譲渡代金の点については別個に考究せらるべき問題であるが、原告が階下を使用し得なかつた損害と相殺して解決せらるべきである。
(裁判官 石沢三千雄)